「ただ国産であれば良いというこだわりは持たない」。大豆の味と品質を守り続ける『おとめ納豆』

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おとめ納豆

昭和25年創業、横浜市で68年も続く老舗の納豆屋さんである『おとめ納豆』。先代から引き継いで3代目の中村 弘(なかむら ひろし)さんに、おとめ納豆のこだわりを聞いてみました。

保存性が高い「経木」と、湿度と通気性のバランスを良くする「ろう引き紙」で包まれたこだわりの納豆
箸が折れそうな粘り!横浜の老舗納豆屋『おとめ納豆』が数量限定販売の理由


横浜の老舗の納豆屋『おとめ納豆』3代目、中村さんの1日を教えてください

おとめ納豆を製造販売する中村五郎商店3代目、中村 弘(なかむら ひろし)さん
おとめ納豆を製造販売する中村五郎商店3代目、中村 弘(なかむら ひろし)さん

午前2時起床、3時から大豆の浸水具合を一つひとつチェック

朝はいつも2時に起きて、3時から納豆作りを始めます。まずは前日から浸水していた大豆の水を抜いて、6時頃までの約3時間は全部の大豆がちゃんと水を含んだかどうかをチェックしています。まだ水が内側まで入ってない豆をそのまま蒸しても納豆菌は豆の中まで入れないので、納豆の仕上がりがムラになるのを防ぐためです。

午前6時半までに納豆を蒸しあげ、納豆菌を混ぜこみパッケージ、10時からは配達へ

おとめ納豆の蒸し器

その大豆を6時30頃までに蒸しあげて、納豆菌を混ぜ込み、一つひとつを計量しながら「経木」と「ろう引紙」のパッケージに小分けして室(むろ)で発酵させます。それが大体9時ぐらいで、10時からは配達に出ますね。
うちの納豆は大豆の浸水から完成品まで足掛け4日間掛かります。仕込むのは1日おきですが、納豆自体はずっと作っているので休みはほとんどありません。

特別に見学させていただいた工場はすごくきれいで、無駄なものどころか、ホコリひとつ感じない場所ですね

細心の注意を払い納豆を製造、湿度コントロールのために冬でも暖房器具をつけない

やはりお客様の口に入るものなので隅々まで気をつけて、すごく集中して納豆を作っています。大豆の温度にも気をつけて、冬でもストーブはつけずに、自分が着込む。うちは昔からそうやってますね。

使用する機会は年代物。納得のいく納豆づくりのために仕込む量も無理をしない

使用する機会は年代物。納得のいく納豆づくりのために仕込む量も無理をしない

すべての機械を今も使っているわけではなく、例えば室の調整盤など今は飾りのようなものですが、それでもどの機械もすべて大切です。この大豆を蒸す圧力釜も、製造年月日を見るともう50年は使っています。30kgまで一度に入れていいサイズですが、今は1度に蒸すのは20kg前後にし、自分の仕事に無理がないように気をつけています。

『おとめ納豆』を買われる方に、どんなこだわりを伝えたいですか?

品質保持は先代からの最重要項目。「経木(きょうぎ)」や「ろう引き紙」を使って納豆を作り続けることが幸せ

うちのこだわりは、保存性が高い「経木(きょうぎ)」と、湿度と通気性のバランスを良くする「ろう引き紙」を使った先代から続く包装と、大豆の品種です。まず経木とろう引き紙ですが、これは品質保持のために使っています。実はリーマンショックの時にろう引き紙を取り扱う企業が倒産してしまいました。運良く今の取引先にご縁ができたので続けて同じおとめ納豆が作れていますが、当初はろう引き紙を諦めて一般的な紙やラミネート紙などで代用できるかとも考えて試してみました。でも味が全然違うものになってしまい、経木もろう引きも、おとめ納豆の味のためにとても重要なファクターだったことが改めて実感しました。
品質を保つことは先代から厳しく言われた最重要項目なので、いまもこうして経木やろう引きを使って納豆を作れていることを本当にありがたく感じています。

「経木(きょうぎ)」や「ろう引き紙」を使って納豆を作り

歴史的な背景を持った「満州大豆」で作られた『おとめ納豆』

それから大豆の品種について、おとめ納豆の裏側の表記を見てもらうと原材料の大豆が中国産と書いてありますが、これは歴史的な背景を持った「満州大豆」のことです。
ご存知の方も多いと思いますが、満州とはかつて日本が中国の土地に作った、わずか13年間の国です。当時横浜の商社にいた男性が満州の支店に異動になり、荒れ果てた荒涼の地でも大豆なら作れると目をつけ、徹底的に研究を重ねて大豆の栽培に踏み切りました。畑を広げ、品種改良に努め、効率的に大量の大豆を作ることに成功したんです。同時にヨーロッパにも販路を作り、年間500万トンの大豆を生産、満州を当時の世界で最大の大豆生産国に発展させました。

ただ国産であれば良いというこだわりは持たない、何よりも味と品質にこだわりたい

現在の表記上は当然、中国産

日本の大豆は輸入に頼るところも多い一方で、ただ国産であれば良いというこだわりを父は持っていませんでした。産地云々ではなく、なによりも味と品質にこだわりたかったようです。
現在の表記上は当然、中国産となりますが、そういった背景や実際の品質を知る由もなく、ただ中国産というだけでとかく嫌厭(けんえん)する人には切ない気持ちになります。ただ、それも、まだまだおとめ納豆がさほど知られてないということだな、とも感じるんですけどね。

中村さんは『おとめ納豆』3代目に就任される前も家業を手伝っていらしたんですか?

7年間の食品メーカー勤務ののち、実家の納豆のうまさを再認識して継ぐ決意を

昔は、とある食品メーカーの社員として営業をしていました。7年ほど勤めてから退職して、ハワイで数ヶ月”自分探し”していた頃、そこで食べた納豆があまりにもまずかった。おそらく当時は保存の仕方などもあまり良い状態じゃなかったのかもしれません。しかし、とにかくまずくて、実家の納豆のおいしさを実感したんです。それまでは納豆屋に生まれた意味を考えながら自分探し中だったのに、納豆屋を継ぐ決意ができた。それで帰国して、納豆作りを教わりながら父を手伝っていました。

音楽好きが高じて、納豆の熟成時にもクラシックを聞かせる

でもまだまだ父も元気でしたし、自分は元々音楽をやっていたので、当時はまだピアノやハーモニカといった楽器を演奏することに夢中で取り組んでもいました。朝が早いのは今と同じでしたが、当時夜はどっぷり音楽の世界に浸かって、眠いまま仕込みを手伝ったりして(笑)。今でも音楽好きは変わらず、近い将来またもう少し真剣に取り組めたら良いなぁと考えています。

実は納豆の熟成時も音楽を聴かせてるんです。よく日本酒や味噌蔵でも音楽をかけてるのと一緒ですね。ただ、うちの場合はバッハの「ゴールドベルク変奏曲」。バッハの音楽はとても几帳面で、感覚的に左右対称というか、とても宇宙的。自分でもあんな風に演奏できたらと思ってよく練習していました。

『おとめ納豆』というかわいい名前は、創業されたおじいさんが命名したんですか?

祖父と祖母の夫婦(めおと)で開業、なので『おとめ納豆』

創業者である祖父の中村五郎は、祖母とふたりで開業しました。夫婦(めおと)でやってるからそれをもじって「おとめ」にしたそうです。祖父から父に引き継いだあとも、父と母が経営していました。社会情勢がいろんな側面で大きく変化した時代でもあり、父はたくさんの試行錯誤を繰り返して今の味を確立し、わたしもそれをすべて引き継いでいます。父が亡くなったあと正式に3代目になって今年で13年になりますが、現在は母とふたりなので、本当は私もめおと経営ができるといいなぁと思ってます(笑)。

最後に、中村さんの一番好きな納豆の食べ方を教えてください

豆の味がそのまま味わえる『おとめ納豆』は、味付けナシでそのまま食べる

豆の味がそのまま味わえる『おとめ納豆』は、味付けナシでそのまま食べる
そのままの味、または塩や味噌などで食べるのがお気に入り

驚かれるかもしれませんが、何も味付けしないで食べるのが好きです。おとめ納豆は、豆の味がそのまま味わえるおいしさが特徴でもあるので、調味料を入れずにただ混ぜて食べる。ご飯のおかずにする以外に、おやつ代わり納豆を食べることもあります(笑)。あとはそのときの気分でお塩を入れたり、味噌で味付けしたり。
料理の具材にするということはあまりありませんが、横浜にある『大ど根性ホルモン』でシェフの椿さんが作ってくれる「納豆オムレツ」は、初めて食べたときびっくりしたほどおいしいかったです。おとめ納豆を使ったメニューですので、ぜひ食べに行ってみてくださいね。

保存性が高い「経木」と、湿度と通気性のバランスを良くする「ろう引き紙」で包まれたこだわりの納豆
箸が折れそうな粘り!横浜の老舗納豆屋『おとめ納豆』が数量限定販売の理由


『おとめ納豆』関連リンク

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大ど根性ホルモン

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