「司製樽」「結い物で繋ぐ会」棟梁 原田啓司一さん【木桶職人復活プロジェクト】

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1月23日(火)に「木桶職人復活プロジェクト」に参加されていた、「司製樽(つかさせいたる)」「結い物で繋ぐ会」棟梁の原田啓司(はらだ けいじ)さんにお話をうかがいました。

「司製樽(つかさせいたる)」「結い物で繋ぐ会」棟梁の原田啓司さん
「司製樽(つかさせいたる)」「結い物で繋ぐ会」棟梁の原田啓司さん

木桶職人を目指したのは21歳のとき。そこからはどっぷりと桶樽の世界で仕事を

ヤマロク醤油製作風景

徳島県で、「司製樽(つかさせいたる)」の棟梁として、桶樽職人をしています。
木桶職人を目指したのは21歳のときでした。桶と樽の製造メーカーが職人を募集していて、そこに応募したのがきっかけです。そこからはもう、どっぷりとこの世界で仕事をしています。

木桶を仕事にする前は造園業に携わる。桶も造園も、ものづくりの基本精神には共通点が

徳島生まれの徳島育ちなのですが、木桶を仕事にする前は兵庫県西ノ宮で造園業に携わっていました。桶も造園も、一見違うようですが、ものづくりの基本精神は似ているところがあったのかもしれませんね。

桶と樽の製造メーカーで6年間仕事をして、2011年、徳島に戻って桶職人として独立、「司製樽(つかさせいたる)」を立ち上げました。そして、今年の4月から弟子を取っています。

「木桶造りの技術を持つ職人が少なくとも各都道府県に一人は必要」と考え、師弟制度を取り入れる

「司製樽(つかさせいたる)」「結い物で繋ぐ会」棟梁の原田啓司さん

将来的には、47都道府県から一人ずつ弟子を取りたいと思っていて、最初の弟子は埼玉県出身の女性です。雇用するのではなく、師弟制度を取り入れています。弟子は6年後には卒業。そのときには道具一式を買い与えて、技術と心構えをしっかりと持たせたうえで、木桶職人として独立させます。
なぜ師弟制度を採用したのか、それは、木桶造りの技術を持つ職人が、少なくとも各都道府県に一人は必要だと考えたからです。

木桶は、工芸品でも民芸品でもなく、生活雑貨。身近にいる職人に木桶を直してほしい

木桶は、修繕しながら長く使い続けるものです。職人が近くにいないと、使う側の健全な環境が保たれない。そうなると、ますます木桶が使われなくなってしまいます。
遠くのお客さんから木桶の修繕を頼まれても、資材の輸送費と修繕代がほぼ変わらない、なんて場合もあります。それだと、お客さんはお金が余計にかかってしまうし、こちらも経費がかかってしまうしで、お互いに大変です。
遠いところにいる人間ではなく、身近にいる職人に木桶を直してほしい。木桶は、工芸品でも民芸品でもなく、生活雑貨です。木桶職人は大工さんと同じで、家が壊れたら修理して住みやすくするように、木桶が壊れたら修繕して、お客さんに長く使ってもらいたいと思っています。

「司製樽」「結い物で繋ぐ会」の棟梁として、メンバーや想いを同じくする方々と木桶文化を繋いでいきたい

「結い物で繋ぐ会」のメンバー、棟梁の原田さん(左)、代表の岸菜賢一さん(中)、職人の宮﨑光一さん(右) ※「結い物で繋ぐ会」オフィシャルサイトより
「結い物で繋ぐ会」のメンバー、棟梁の原田啓司さん(左)、代表の岸菜さん(中)、職人の宮﨑光一さん(右)
※「結い物で繋ぐ会」オフィシャルサイトより

普段は地元徳島で桶樽職人をしていますが、この木桶職人復活プロジェクトのように大勢で造り上げていくときは、「結い物で繋ぐ会」のメンバーとして参加しています。「結い物で繋ぐ会」とは、大阪にある「食のセレクトショップ きしな屋」代表の岸菜賢一さんと、五島列島の桶屋「桶光」の宮崎光一さんと一緒に立ち上げた、木桶の製造・修理を行う木桶職人集団です。この会では、自分はものづくりだけに特化して活動しています。いい木桶を造り続けるためにできることを、メンバーや想いを同じくしてくれる方々とともに繋いでいきたいと思っています。

桶を造る原田さん
桶を造る原田さん ※結い物で繋ぐ会オフィシャルサイトより

司製樽

司製樽

結い物で繋ぐ会

結い物で繋ぐ会
食のセレクトショップ きしな屋
桶光

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