「無形民俗文化財」として文化庁長官に答申中の四国の発酵茶。“発酵茶に含まれる乳酸菌が美容健康作用に優れている”として、今話題を集めています。でも、発酵茶ってどんなもの・どんな味? 体にどういいの? 後(こう)発酵って何? などなど、知りたいことがいっぱいです。
そこでハッコラでは、「四国に伝わる伝統、後(こう)発酵茶をめぐる旅」と題して、徳島の「阿波晩茶(あわばんちゃ)」・高知の「碁石茶(ごいしちゃ)」・愛媛の「石鎚黒茶(いしづちくろちゃ)」の3つの発酵茶を特集します。第1回目は、発酵茶の研究を進める東京農業大学の内野昌孝教授に、発酵茶についてお話を伺いました。
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無形民俗文化財となるか⁉ 四国に伝わる伝統、後(こう)発酵茶をめぐる旅
徳島県上勝町の阿波晩茶
古くから四国の地にだけ伝わる、乳酸発酵の「すっぱいお茶」
お茶といえば茶葉を発酵させない緑茶、お茶に含まれる酵素を活発にする紅茶やウーロン茶などがありますが、この四国の伝統的な技法で製造されたお茶はそれらとは全く違う「後発酵」。茶葉を蒸したあとにカビ付けや乳酸菌で発酵させる、世界でも数少ない製造方法でつくられ、独特の香りと酸味があります。
四国の山奥でなぜ後発酵? 東京農大の教授に聞いてみた
東京農業大学生命科学部/分子微生物学科長の内野昌孝教授
後発酵茶は、現在の日本では徳島の「阿波晩茶」、高知の「碁石茶」、愛媛の「石鎚黒茶」、富山の「バタバタ茶(黒茶)」と、わずかにしか生産されていません。そして、その成分や身体への影響などの研究は始まったばかり。本当に乳酸菌があるの?身体にいいならなぜ一部の地方にしか伝わっていないの?疑問は深まるばかり。
そこで、後発酵茶の研究を進める東京農業大学生命科学部/分子微生物学科長の内野昌孝教授にお話を伺ってきました。
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徳島の阿波晩茶と高知の碁石茶を取材してきた。が、生産者さんたちに「昔のことはちょっとわからなくて…」と恐縮されたため、まずは東京農大のえらい人に研究結果や考察などを聞いてみることに。
内野教授。東京農大のえらい人。2014年に「伝統後発酵茶「碁石茶」茶液の一般成分および機能性成分」を研究発表した実績があったため、今回白羽の矢が立てられた。
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どこから来たのか、誰も知らない発酵茶
高知県大豊町の碁石茶
今、内野先生は微生物の研究をされているんですよね。
微生物ものはたくさんありますけど、なんでお茶を研究しようと思ったんですか。
私はもともと農芸化学、食料資源などを研究していたのですが、私の恩師の一人で、植物性乳酸菌の研究をされていた岡田先生という人が30年くらい前から碁石茶や阿波晩茶に取り組まれていたんです。その先生から受け継いだ形です。
微生物がお茶に対してどんな役割を果たしているのかを読み解きたい
どういうふうに発酵茶と関わられているんですか。
サンプルを送ってもらって、色味を見たり成分を見たり、ときにはその感想を伝えて品質の安定化を提案したりもします。論文は今2種類を準備しています。碁石茶の香りと、阿波晩茶の成分についてです。最終的には、微生物がお茶に対してどういう役割を果たしているのかを読み解きたいと思います。
先生はとくに碁石茶の研究発表をされていますよね。碁石茶は、高知県の山間にある大豊町で、400年以上受け継がれてきた伝統製法と聞きました。
はい。昔は瀬戸内の島々と、山地では当時は貴重だった塩との交換に使われる特産品として生産されていました。なので、地域の人が飲むお茶としておなじみ…というわけではなく、高級品だったようですよ。島の人々は茶粥にして食べていました。島は水の品質が良くなかったはずですから、抗菌作用のあるお茶で粥を作るのは合理的だったのでしょう。もっとも記録はほとんど残っていないのですが。阿波晩茶は、各家々で愛飲されていた庶民の味だったようです。
阿波晩茶も碁石茶も、乳酸菌が増えていることが実証されている
ハッコラの取材は阿波晩茶の上勝町と碁石茶の大豊町に行ったのですが、どちらも山奥の町ですよね。そしてどちらもすごく手のかかる製造方法で。
すごく疑問なんですけど、なぜあんな山奥でこんな製法を思いついたのでしょうか。こういうやり方をしたら乳酸菌が増えることを、この近辺の人だけが知っていたのでしょうか。
いきなり核心をついてきましたね…!
そう、どちらのお茶も乳酸菌が増えていることが実証されています。
大豊町の発酵茶「碁石茶」は、メタボリックシンドロームやインフルエンザ予防への期待も
ほうほう。お客様からは「便秘が改善された」という声が多いそうです。やはり乳酸菌だからでしょうか。
ヨーグルトなどに比べたら菌の量は少ないので、ヒトの身体においてどの程度の作用があるのかは実験結果を出さないと何とも言えないですが。お茶の良いところは習慣化しやすいことですね。毎日続けやすいですよね。
碁石茶の場合は、マウスの実験では「アディポサイトカイン」という成分の変動が見られて……大雑把にいえばメタボリックシンドロームに有効ではないかと考えられます。また、碁石茶を飲んでいないラットはインフルエンザ感染のリスクが2倍になったことから、もしかしたら予防に使えるかも…と期待しています。やはりどちらもヒトへの影響はこれから調べていくのですけど。
空海が伝えた…!? 発酵茶の伝播と発生については、まだよくわかっていない
なんと!!メタボに!? じゃあ、昔の人は「これを飲むと調子がいい」ことを知って、こんな面倒なお茶作りを………!?!?
それが、文献がほとんど残っておらず、伝播と発生についてはよくわかっていないんです。身体にいいことが知られていたならもっと広がってもいいと思うんですよね。富山にもありますけど、じゃあなんで四国の近隣の県ではなくて富山なんだ、とか。海からの伝来ならどうして沿岸部ではないんだ、とか。伝承では空海が伝えたとも言われていますが、どうにも文献がないものではっきりしません。
空海っていろんなものを伝えていますね。
でも本当はどうやって伝わったのか、わからないんだ………。
中国のプーアル茶、タイのかみ茶、ミャンマーのお茶の漬物など、後発酵茶はアジアの複数地域で確認されている
私の専門は自然科学系の実験調査なので、いかんせん民俗学的な調査は得意ではなく…。いずれは人文調査などができる社会科学系の先生とチームを組んで、ルーツを解明したいと思っています。伝播と発生に関しては、いわゆる古文書の読み解きなども必要になるかもしれませんので。いろいろと想像はできますが、資料がないと立証するのがむずかしい。
伝搬と考えると、同じような後発酵茶はアジアの複数地域で確認されています。中国のプーアル茶、タイのかみ茶、ミャンマーのお茶の漬物などです。
じゃあ、これらのお茶と製法が海を渡って、遠く四国の山奥に流れ着いて、密かに伝えられていた……かも?すごい!スペクタクル!
自然発生した可能性も捨てきれない四国の発酵茶
一方で、自然発生した可能性も捨てきれません。誰かが放置した茶葉が、なんだか変わった風味で飲めるね、なんて言って。
あああ!!なるほど!!たしかにお茶アレンジの一種だったとも考えられますよね。話は変わりますけど、わたし、いつも「いちばん最初に試した人ってすごいな!」って思うんですよ。いちばん最初にナマコを食べた人とか勇者ですよね。お茶だって、茶葉が腐っちゃったんじゃないか、捨てちゃおうか、っていう人もいたんじゃないかと。
ああ、そういう話ですと、当時の背景を考えなくてはいけませんね。昔は何しろ食べ物がなかった。命の危険を冒しても食べられるかどうか試してみることはあったでしょうし、食べられると判明したモノは余すところなく食べたでしょうし、調味料などが少ない中で少しでもおいしく食べる方法を考え抜いたでしょうし、めったなことでは廃棄はしなかったはずです。
昔の人は、カビを見てもそこまで嫌悪感は持たなかったかもしれない
……!!そうか……!!少しくらい変な匂いがしても、食べるほうが優先!!そうですよね、食べ物を捨てるほうがタブーだったんだ。
はい。その時代時代のバックグラウンドを見て評価をしないと、見過ごしてしまう部分はたくさんあります。理屈からすれば、カビは分解酵素をたくさん出しますから、例えばたんぱく質を分解してアミノ酸にしてくれます。良い面・悪い面がありますが、良い面を捕まえられればカビはすごく有用なものです。昔の人はカビを見てもそこまで嫌悪感は持たなかったかもしれません。
なるほど……! 不明なことが多い案件は、いろいろな面からアプローチしてひとつひとつクリアにしていかなければいけないんですね!
一段発酵の「阿波晩茶」、二段発酵の「碁石茶」と「石鎚黒茶」
四国の発酵茶
阿波晩茶と碁石茶・石槌黒茶の製法は違いますよね。
軽い口当たりで酸味もさっぱり。酸味のあるお茶に慣れていない人でも飲みやすい阿波晩茶は「一段発酵」
はい。阿波晩茶は一段発酵。茶葉を蒸して、擦って、その後数週間漬け込みます。発酵はこの漬け込みの時、1回のみです。比較的軽い口当たりで酸味もさっぱり。酸味のあるお茶に慣れていない人でも飲みやすいでしょう。
渋みがあって酸味が強め。色もその名の通り黒っぽい碁石茶と石鎚黒茶は「二段発酵」
あとの碁石茶と石鎚黒茶は二段発酵です。茶葉を蒸して、カビを付けて数日間寝かせ、そして漬け込む。カビと乳酸菌で2回発酵します。そのぶん渋みがあって酸味が強め、色もその名の通り黒っぽいですね。
後発酵茶の製造工程
阿波晩茶は「擦る」工程があるのがポイント
摘む→茹でる→擦る→漬ける→ほぐしながら桶から出す→天日干し→選別・袋詰め
碁石茶は「擦る」代わりに「カビを付ける」
茶狩り→蒸す→寝かす(カビ付け)→漬ける→碁石のように切る→天日干し→選別・袋詰め
阿波晩茶はカビを付けていませんね。
そうなんです。それがポイントのひとつじゃないかと思っています。阿波晩茶のほうは、「擦る」工程があるでしょう。
阿波晩茶の製造・販売を行っている山田さん
あー!ほんとですね。一方で、碁石茶はすぐカビを付けて寝かせてしまう。
はい。阿波晩茶には茶葉が発酵しやすくなるように擦るなどの工程がある。碁石茶はその代わりに「カビを付ける」ことで、発酵が進む状態にしているのではないかと考えています。
へーーー!しかも、風味がプラスされる。一石二鳥ですね。
カビが持つ抗酸化性物質も付与されます。
石槌黒茶はまだ現場に行っていませんが、碁石茶と同じ二段発酵ですね。
「熱を加える」工程があるのに、茶葉にいる乳酸菌が加熱によって死んでいない
わたしも石槌黒茶の現地取材はしていませんが、愛媛のアンテナショップで買った石鎚黒茶をいただいたところ、他の2つともまた違う味で不思議だったんです。よりフルーティな感じがしました。愛媛だからみかんの成分がなにか作用して……とか?可能性はありますか!?
いや……それは考えにくいですが、微生物が違えば味が変わるのは当然のこと、発酵時間によっても風味は変わってきます。
不思議なのは、2つの工程とも熱を加えているでしょう。
ほんとだ!!茹でたり蒸したり。菌は死なないのでしょうか??
そうなんです。普通に考えると茶葉にいる乳酸菌は加熱によって死んでしまうはず。なのに完成したお茶には紛れもなく乳酸菌が増えている。この時の乳酸菌はどういう状態にあるのか、山茶の成分はどうなのか、ポリフェノール濃度も関係あるのかなど、それらの謎も解明したいと思っています。
ほんとうに謎が多いお茶なのですね。研究が進めば新しい菌の発見などもあるかもしれませんね!見逃せないなあ。
歴史を「今」へ。無形文化財として四国の発酵茶を残す意味とは
四国の後発酵茶が無形文化財として登録されれば、食べ物としては初の文化財となる
四国の後発酵茶が、無形文化財として答申されましたよね。もし登録されれば、食べ物としては初の文化財だそうです。
ですね。茶の歴史を考える上でも非常に重要な手がかりになります。私は研究者なので、製法のアーカイブを残し後世に伝えてほしいと切に願います。ただ先ほどもお話したように、伝統的な製法というのは当時の状況とすごく結びついています。
伝統的な製法の保存に立ちはだかる「後継者不足」
長崎県対馬の郷土料理「ろくべえ」をご存知ですか?発酵させたサツマイモを粉にして調理して麺状に伸ばしてうどんのように出汁で食べます。やはりこちらも伝統技術では避けては通れない「後継者不足」問題があります。私は地元のケーブルテレビと一緒に、昔ながらの技法を映像で残したんですけど、「ろくべえ」は数ヶ月かけて作るんですよ。
数ヶ月!!!粉にしたり干したりという作業もすごく大変ですね……。島だから小麦粉が取れなかったのでしょうか。だけど、うどん的なものをどうしても食べたかったとか。
小麦粉だけではなく、米も水も足りなかったのでしょう。しかし、ハレの日には何かいつもとは違うものを食べてお祝いしたかった。そんな風に想像できます。
歴史として残すべき伝統と、アップデートが必要な伝統。その両輪で走ってこそ、伝統は未来へ続いていく
そうか……。気持ちはわかる………。でも現代だと、数ヶ月かけてひとつの食べ物を作るのはなかなか覚悟がいります。
ですね。そのため、後継者不足が続いています。
伝統は、歴史として残さなければいけないものと、「今」に結びつけるためのアップデートが必要なものがあります。その両輪で走ってこそ、伝統は未来へ続いていくのだと思います。
発酵茶の伝統と未来への取り組み
発酵茶はどうでしょうか。碁石茶は共同組合を作って、生産農家さんをまとめて町全体で技術を守る取り組みをしているようでした。新しい製品の開発などにも積極的で、夏はソフトクリームもあったと仰ってましたよ。食べたいなあ、碁石茶ソフト。
そうですね。碁石茶は共同組合を作って味を安定させています。阿波晩茶の上勝町は、生産者がそれぞれ家に伝わる製造方法を守っているので、少しずつ味が違います。好みの生産者さんを見つける楽しさがありますよね。
もうひとつ技術を伝承している那珂町の方は、ペットボトル生産をメインにして売り出している方もいるようです。味は均一になりやすくなると思いますよ。
今だと「安全性」が重要で、あとはコストでしょうか。量を多めにつくるのもコストダウンにつながるので、いいと思いますよ。
新規開発しやすい製法、伝統を守っている製法、それぞれに良さがありますよね。石鎚黒茶は一度廃れそうになって、一人の女性が立ち上がって復活したんだそうです。そこから新しい生産者さんに指導したらしいのですが、それぞれに製造・販売を行っているので、やっぱり少しずつ風味が違うんだそうです。
製造する場所が違えば菌も違いますから、個別に作る方法であればそれぞれ味が違うでしょうね。また、年によっても味の変化はあると思います。植物も菌も生き物ですから。なので定点観測がしにくくて、研究は大変ですけど(笑)。
ワインみたいでおもしろいですね!そのうち●●年もの、とかヴィンテージが出たりして!? 伝統文化も、その背景を考えて臨機応変に伝えていかなくてはいけないんですね。
内野先生、本日はお忙しいところ、本当にありがとうございました!今後の研究成果も楽しみにしています!
取材を終えて
後発酵茶の研究はまだまだこれから。謎が解析されれば、工場などで大量生産も可能になるかもしれません。
ただ、取材時にいただいた後発酵茶を飲んで感じたことは、”この土地の環境が育てた味”だということ。四国の山奥を渡る風に育まれた山茶、山へ降り注ぐ太陽の光、昔から脈々と伝え続けられてきた手仕事。その土地に根を張って暮らす人々が、その営みの中でゆっくりと育ててきた「酸っぱいお茶」は、この土地でなければ味わえない伝統の味なのだと思います。
取材協力
内野昌孝(うちの まさたか)
東京農業大学 生命科学部 分子微生物学科 複合微生物学研究室 教授。分子微生物学科長。著書に「新食品理化学実験書(共著/三共出版)」などがある。2014年6月に研究発表された「伝統後発酵茶「碁石茶」茶液の一般成分および機能性成分」では、伝統後発酵茶「碁石茶」茶液の一般成分および機能性成分について調査。茶液の全糖量、還元糖量、タンパク質量、ポリフェノール含量、抗酸化性などについて試験し、日本茶に比べて数値の異なる成分を確認した。
東京農業大学 内野先生HP
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